振り返りは大事だ、とずっと思っていました。でも、ある時期から気になることが重なりました。
じっくり考えて、その場では納得したのに、翌日には忘れている。同じことで何度も一から考え直している。日によって、同じ出来事なのに出る結論が違う。考えたはずなのに、何も残っていない。
これが続くと、自分の思考力の問題かと思い始めます。もっとちゃんと考えなければ、と。でも、それは違いました。内省しかしていないことが原因でした。
「内省」と「記録化」は、別の作業です
この二つは混同されがちですが、やっていることも、目的も、まったく異なります。
内省は、何かが起きた直後に動き出します。人に何かを言われてむっとした。仕事で思ったように動けなかった。そのとき、なぜだろうと掘り下げる。これが内省です。目的は、その一件をどう扱うか決めることです。うまくいけば、その場で納得が出ます。
問題は、その先にあります。
納得が出た時点で、内省は終わります。結論が出たので、作業が完了する。でも結論は頭の中にしか存在しないので、数日で消えます。次に同じことが起きたとき、また一から考えることになります。
もう一つ、内省には根本的な弱点があります。そのときの気分と一緒に走ることです。
余力がある日には「相手にも事情があったんだろう」と思える。疲れている日には、まったく同じ出来事なのに「軽く見られている」と感じる。事実は変わっていないのに、出てくる結論が変わる。日によって結論が変わるものは、積み上げることができません。
一方、記録化が取るのは別のものです。出来事を事実のまま書き留める。評価語を入れない。「雑に扱われた」ではなく「三日返信がなかった」と書く。目的は一件を処理することではなく、頻度と繰り返しを見えるようにすることです。
ここが決定的な違いです。一件の中には、頻度の情報が入っていません。同じ種類のことが今月何回起きたのか、押されているのは本当に同じ場所なのか。これはどれだけ深く考えても、一件からは出てきません。記録がなければ、「今日はついてなかった」で終わります。
なぜ順番が大事なのか
ここで「記録だけやればいい」という話にはなりません。役割が違うからです。
- 記録は「何が何回起きているか」を出す係
- 内省は「それをどう扱うか」を決める係
記録だけ溜めても、判断は出ません。データはあるのに何も変わらない状態になります。逆に内省だけでは、頻度が分からない。
精度が上がるのは、記録が先で、内省は溜まったものに対してやるという順番です。一件ごとに内省すると、その日の気分に引っ張られます。月に一度、溜まったものをまとめて見ると、気分の影響が薄まります。一件では見えなかった自分のパターンが、少しずつ輪郭を持って見えてきます。
私自身、この順番を逆にして長い間やっていました。何か起きるたびにその場で考えて、納得して、忘れる。また起きて、また考える。それを繰り返しながら、なぜ同じことが続くのか不思議でした。記録がなかったので、「同じことが続いている」ということ自体に気づけなかったのです。
実際に書くもの:4つだけに絞る
項目を増やすと書かなくなります。自分で試した結果、4つに固定するのがちょうどいい量でした。
- 出来事:事実だけ。評価語を入れない。「怒鳴られた」ではなく「大きな声で名前を呼ばれた」
- 押された場所:自分が守ろうとしたものを一語で。時間、対等さ、正確さ、意図、など
- 判定:直せることか、直す対象がないことか
- 収まるまでの時間:すぐ、数時間、翌日、数日以上
4つ目の「収まるまでの時間」を入れる理由があります。感情のことを記録するとき、「怒らなかったか」を見ても使えません。同じ対処をしても、その日の余力や相手によって結果が変わるからです。一件では効果を判定できない。
代わりに見るのは、回数と、収まるまでの時間です。この二つは記録から実際に取れます。感情の強さは主観ですが、時間は測れます。測れるものを記録に残すと、振り返りが「感想」ではなく「測定」になります。
溜まってくると、見えてくるもの
ひと月ぶん溜まってくると、一件を見ていた時には気づかなかったことが出てきます。
押されやすい場所が、二つか三つに集約されていること。同じ相手、同じ場面で繰り返していること。収まるまでの時間が、実は短くなってきていること。
ここまで来ると、対処の位置が変わります。一件ずつ処理する話ではなく、扱い方を決める話になる。事前に避けられる場面も出てきます。「また押された」ではなく、「ああ、この場面か」と少し手前で気づけるようになります。
目指すのは、反応が起きなくなることではありません。起きたときに、それが自分の中で終わるまでの時間が短くなることです。正体が分かっているものは、分かっていないものより早く収まります。
続かない理由は、意志の問題ではない
振り返りが続かないのは、意志が弱いからではありません。構造の問題です。
書くのは書きたい状態のときにできます。でも見返すのは、何の勢いもない状態でやる作業です。しかも、過去の自分の未整理な感情を読むのは普通に不快です。そりゃ続かない。
だから、見返す側を楽にする必要があります。
- 見る日を決める(月末の30分、など)
- 全部読まない(「押された場所」の列だけ見る)
- 探すものを決めておく(一番多く出てきた場所を探す)
この三つを決めておくと、見返すときに「何をするか」を考えずに済みます。それだけで、随分と続けやすくなりました。
まとめ
- 内省は気分と一緒に走るので、日によって結論が変わる。積み上げられない
- 記録化は頻度とパターンを見えるようにするもので、内省とは別の作業
- 考えたのに何も残らないのは、残る形にしていないだけ。考え方の問題ではない
次にやること
- 今日起きた出来事を一つ選び、評価語を入れずに事実だけ書いてみる
- 「押された場所」を一語で表す練習をする(時間、対等さ、正確さ、意図、など)
- ひと月後に見返す日をカレンダーに今すぐ入れる


コメント