久しぶりに投稿を再開したとき、自分でも気づいていたことがあります。「また間が空いてしまった」という感覚と同時に、「なぜ止まっていたのか」が、以前よりも少しだけ見えていた、ということです。
やったほうがいい、とわかっている。それなのに、手が動かない。この記事はそういうテーマで書いています。そしてこれは、自分がずっと抱えてきた問題でもあります。
「わかっている自分」が、いちばん動けなかった
振り返ると、行動できなかった時期ほど、頭の中は整理されていました。本を読んで、考え方を学んで、ノートに書き出して。「わかっている」という感覚には事欠きませんでした。
でも実際には、何も変わっていなかった。運動も、勉強も、書くことも、「やろうと思っている状態」のまま、日が過ぎていきました。
当時の自分に欠けていたのは、知識ではなかったのです。問題は別のところにありました。
「わかる」と「できる」はまったく別の能力だ
これが、自分が気づいた最初の核心です。「わかる」は知識の話で、情報を頭に入れて理屈を飲み込むことです。本を読めば手に入ります。一方で「できる」は行動の話で、実際に体を動かして、続けることです。こちらは、いくら本を読んでも手に入りません。
問題は、この二つを長いあいだ混同していたことです。新しい考え方を知ると、まるで自分が変わったような高揚感があります。でもその高揚感は、行動とは何の関係もない。むしろ、わかったことで満足してしまって、行動から遠ざかることさえありました。
自転車の乗り方を、本を読んでマスターした人はいません。何度も転びながら、体で覚えていく。考えてみれば当たり前のことなのに、その当たり前が、日常のあれこれになると見えなくなっていました。
手段を集めることが、行動した気分を与えてくれる
行動できていなかったとき、自分がいちばんよくやっていたのは「もっといい方法を探すこと」でした。
何かを変えたいと思う。本を買う。動画を見る。新しいアプリを入れる。最初はやる気が出る。でも続かない。「この方法が合わなかったんだ」と考えて、また次の方法を探す。
この繰り返しの中で、ひとつだけ抜け落ちていたものがあります。それは、実際にやってみる、という一点です。
手段を集めること自体が、行動した気分を与えてくれます。新しいノートを買った日は、もう少し勉強が進んだ気がする。新しいアプリを設定した日は、もう少し習慣が整った気がする。でも翌日には、また元に戻っている。
変わりたいという気持ちが強い人ほど、この罠にはまりやすいと思います。気持ちが強いから、つい次の手段に手を伸ばしてしまう。手段探しに費やすエネルギーで、実際に動けてしまうだけのものが、すでにそこにあるのに。
動けない本当の理由は、怖さだった
では、なぜわかっているのに動けないのか。自分の場合、その奥にあったのは「怖さ」でした。
やってみて、うまくいかなかったらどうしよう。中途半端なものを出して、がっかりされたらどうしよう。そういう不安があると、人は「準備」に逃げ込みます。もっと調べてから、もっと完璧にしてから、と。
準備をしているあいだは、失敗しなくて済みます。でも、準備はいくらでも続けられてしまう。終わりがない。そして気づけば、何も世に出さないまま、時間だけが過ぎていく。
これがいちばん怖いことだと、今は思います。失敗することより、何も始めないまま時間が過ぎることのほうが、ずっと痛い。でもその怖さは、動き出す前にはなかなか実感できません。準備している自分は、少なくとも何かをしている感覚があるから。
動ける人は「やってからわかる」順番で動いている
行動できる人を観察していると、共通していることがありました。完璧を目指していない、ということです。
八割の出来でも世に出す。出してから直す。やってみてから考える。「とりあえずやる」のハードルが、驚くほど低い。
多くの人は「わかってからやる」順番で動こうとします。でも動ける人は「やってからわかる」順番で動いています。先に動いて、動きながら学んでいく。この順番の違いだけで、積み上がるものがまったく変わってきます。
これは才能の話ではありません。順番の話です。自分も、この順番を意識するようになってから、少しずつ変わってきました。完璧を手放すのは、最初は怖い。でも出してしまえば、案外なんともないことのほうが多かったです。
実際に自分がやっていること:小さく、すぐ、始める
では具体的にどうするか。自分が意識していることを書きます。
まず、やることをばかばかしいくらい小さくします。「毎日一時間勉強する」ではなく「教材を開く」。「ブログを書く」ではなく「一行だけ書く」。「運動を習慣にする」ではなく「靴を履く」。これくらい小さくすると、やらない言い訳が作りにくくなります。
次に、考える前に始めます。「今日はやる気がないからあとで」は、たいてい「あとで」が来ません。やる気が出るのを待っていると、永遠に始まりません。やる気は、動き始めたあとからついてくるものだからです。まず手を動かして、話はそれからです。
そして、完璧かどうかより、続いているかどうかを基準にします。今日の一行が荒削りでも、昨日より少し進んでいれば十分です。完璧な一回より、ぼちぼちの三十回のほうが、ずっと遠くまで運んでくれます。
- やることを「開く」「一行書く」「靴を履く」レベルまで小さくする
- やる気を待たずに、先に体を動かす
- 完璧より、続いていることを優先する
これだけです。シンプルだけど、シンプルであることが大事なのだと思っています。複雑な仕組みを作ると、また「手段集め」に戻ってしまうから。
まとめ
- 「わかる」と「できる」は別の能力で、本を読んでわかった気になっても、行動は始まらない
- 手段を集めること自体が行動した気分を与えてしまい、本当の一歩がいつまでも始まらない
- 動けない奥底にあるのは怖さで、準備に逃げているあいだに時間だけが過ぎていく
次にやること
- 今日やろうと思っていたことを、「開く」「一行書く」くらいの粒まで小さくして、今すぐ始めてみる
- 「もっといい方法」を探したくなったとき、まず今ある方法で一回やってみる、をルールにする
- 八割の出来で出す練習として、完成度より「出したかどうか」だけを今週の基準にしてみる


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